「推定」12歳
僕は地獄で生きてる。
存在のない子供たち
丸焼きチキンみたいだ。
最低の人生だ
みんなに好かれて尊敬されるような立派な人になりたかった。
でも、神様の望みは僕らがボロ雑巾でいること。
「推定」12歳のゼインが言った言葉だ。
ドキュメンタリーのようだが、監督が3年のリサーチを経て撮ったフィクション映画である。3年というリサーチ期間の重さが滲み出た重みのある映画だった。
映画だと知りながら、その見やすさ、リアリティさにノンフィクションを疑わざるを得なかった。現実は本作より厳しく残酷な物語もあるのだろうと容易に想像もできる。
「推定」というのは、主人公のゼイン(演:ゼイン・アル=ラフィーア)は両親が出生届を出さなかったため、自分の誕生日すらもわからないからというため。
学校にも行かず(行かせてもらえず)、法的には社会に存在すらしていない。
中東の過酷で苛烈な貧困の連鎖は本作を通じて、見る人の中に楔を打つだろう。
フィクションとノンフィクション
本作が素晴らしいと思ったのは、フィクションとノンフィクションのバランスだ。
自然光に近い形で撮ったのであろう淡い色合いは、フィクションの垣根を軽々超えてくるし、現実のみのあるストーリーと自然な演技もフィクションを忘れてしまうほど引き込まれる。
社会性の強いドキュメンタリー映画は直面している問題がない限り「自分事」として捉えずらいが、本作のようにフィクションとノンフィクションの間のような映画は社会問題を題材にした作品にはとても感情移入がスムーズで親和性が高いように思えた。まさに本作はその傑作と言える。
「推定」12歳の少年が実の両親を告訴する。罪は、「僕を産んだから」。
12歳の子供にこのセリフを言わせるか。と、最初にすぐ引き込まれた。
トラマドールを服に染み込ませ、刑務所にいる親戚に送ったり、学校にも行かずよく分からないジュースを売り捌かせられたり、妹の初潮を隠したり、日本では考えられないエピソードも多い。しかし、そのどれにもリアリティがあり、引き込まれた。
目標1 貧困をなくそうの「貧困」を知るために
社会問題を扱う作品は問題をストレートに理解させるため、現実の残酷で残虐な一面を見せつける事がある。しかし、誰しも残虐な映像は進んで見たくはない。
その点、本作はリアリティという土壌で、フィクションの構成と、見やすさ、面白さを使い、社会問題をしっかり伝えるという創意工夫がなされている。
日本から見れば遠い中東の国。その社会問題を知るにはとてもおすすめの作品であり、まずは問題を知り、感じ、共感するには、本作のような映画を視聴するのが良い方法だと思う。
リアリティを持たせたフィクション映画 存在のない子供たちで「貧困」が心に楔として打ち込まれた。
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